箕輪を歴史を知り、文化にふれる

歴史散策

歩いて巡る 東山山麓 歴史の道

~ 名所旧跡をめぐる 5つのコース ~

福与地区コース


福与地区コース

福与諏訪社

福与諏訪社
福与諏訪社

祭神は、諏訪大社と同じ建御名方命(たけみなかたのみこと)、八坂刀賣命(やさかとめのみこと)で、毎年10月10日に例祭を行っていました。例祭には、浦安の舞、子供相撲が奉納され、平成18年までは、青年会による祭り演芸が奉納されていました。建物としては、18世紀に建立された本殿、神楽殿があったとされますが、昭和46年と52年の二度の災害(落雷による)で焼失してしまったため、昭和53年に再建しました。

梵地公園

梵地公園
梵地公園

福与公民館に隣接する公園で、福与三塚の一つ「本性海塚」(ほんしょうかいづか)をはじめ、養蚕神などの石造物があります。このうち、「本性海塚」は、「圓海塚」(えんかいづか)「万海塚」(まんかいづか)とならぶ民間信仰の地で、昭和初期までは塚を記す石碑があったと伝えられますが、その後消失してしまいました。また、公園東側にも、庚申塔や念仏供養塔、馬頭観音等、数多くの石造物があります。


圓海塚(えんかいづか)

圓海塚(えんかいづか)
圓海塚(えんかいづか)

福与三塚の一つといわれています。寛延初年(1748)頃、通称追剥原(おいはぎはら)で老人が殺害され、村人が供養しているところへ圓海と名乗る旅の僧が通りかかり供養に加わったが、突然苦しみ出して息を引き取りました。村人は圓海の頼みを聞いてここに埋葬し、二本の松を植えたところ、以後追剥はパッタリと出なくなったという伝説が伝えられています。

福与城跡

福与城跡
福与城跡

福与城跡は、三方を断崖に囲まれた天然の要害で、東西約330m、南北約440mあります。室町~戦国時代頃に箕輪地方を領していた藤沢氏の居城で、16世紀中頃の城主は藤沢頼親でした。天文14年(1545)、伊那地方を手中におさめようとする武田晴信は、高遠を落とし、続いて福与城を攻めました。城主藤沢頼親は伊那衆とともに城に篭り、50日余の戦いの末、弟を人質として城を開いたと伝えられています。長野県史跡に指定されています。


お問い合わせ

 

箕輪町役場・箕輪町観光協会

TEL : 0265-79-3111

E-mail :  kankou@town.minowa.nagano.jp