箕輪を歴史を知り、文化にふれる

歴史散策

歩いて巡る 東山山麓 歴史の道

~ 名所旧跡をめぐる 5つのコース ~

福与地区コース


福与地区コース

福与諏訪社

福与諏訪社
福与諏訪社

御府社(二位殿坂)、秋宮社(町裏)、御旅所(御射山)の三社を御射山三社といいます。その創建については、文安2年(1445)ち箕輪城主箕輪義雄が箕輪南宮神社を一の宮から木下に遷した時、秋宮社及び御府社を建てたと伝えられています。毎年9月末の例祭には、御府社及び秋宮社の神様等を神輿に遷し、区内を巡行した後、御旅所に遷座して3日間の祭事を行います。古くはこれを穂屋御狩(ほやおかり)の神事といったそうです。また、秋宮社の神様は、毎年12月27日~28日にかけた深夜に箕輪南宮神社に御遷りになり、翌年7月の箕輪南宮神社例祭の後、木下・三日町区内を神輿にて巡行し、再び秋宮社に遷座されます。

梵地公園

梵地公園
梵地公園

福与公民館に隣接する公園で、福与三塚の一つ「本性海塚」(ほんしょうかいづか)をはじめ、養蚕神などの石造物があります。このうち、「本性海塚」は、「圓海塚」(えんかいづか)「万海塚」(まんかいづか)とならぶ民間信仰の地で、昭和初期までは塚を記す石碑があったと伝えられますが、その後消失してしまいました。また、公園東側にも、庚申塔や念仏供養塔、馬頭観音等、数多くの石造物があります。


圓海塚(えんかいづか)

圓海塚(えんかいづか)
圓海塚(えんかいづか)

福与三塚の一つといわれています。寛延初年(1748)頃、通称追剥原(おいはぎはら)で老人が殺害され、村人が供養しているところへ圓海と名乗る旅の僧が通りかかり供養に加わったが、突然苦しみ出して息を引き取りました。村人は圓海の頼みを聞いてここに埋葬し、二本の松を植えたところ、以後追剥はパッタリと出なくなったという伝説が伝えられています。

福与城跡

福与城跡
福与城跡

福与城跡は、三方を断崖に囲まれた天然の要害で、東西約330m、南北約440mあります。室町~戦国時代頃に箕輪地方を領していた藤沢氏の居城で、16世紀中頃の城主は藤沢頼親でした。天文14年(1545)、伊那地方を手中におさめようとする武田晴信は、高遠を落とし、続いて福与城を攻めました。城主藤沢頼親は伊那衆とともに城に篭り、50日余の戦いの末、弟を人質として城を開いたと伝えられています。長野県史跡に指定されています。


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箕輪町役場・箕輪町観光協会

TEL : 0265-79-3111

E-mail :  kankou@town.minowa.nagano.jp