トップページ > 箕輪を知る > 歴史・文化

箕輪町郷土博物館は、郷土の博物館という特色を活かし、箕輪地域の歴史や文化を伝える資料を収集・保存・活用することを目的として運営されています。展示室は郷土の民俗、自然、考古・歴史、美術の4部門により構成されており、それぞれの展示を通じて、郷土“箕輪町”を考える場所となることを目指しています。
昭和49年に開館。民俗資料2300点や、藤沢古実の彫刻・山口迫中の版画などの美術資料280点のほか、箕輪町で発掘された石器や土器などを時代の流れを追って常設展示している。また、先祖の生活資料、周辺に生息する野生動物などの自然資料約190点も展示している。

福与城は「妙法寺記」「武田高白斎記」によると、1542年(天文11年)以降、計3回にわたり武田勢の攻撃を受けたが落城せず、甲斐武田信玄氏による伊那谷攻略の中で、藤沢頼親が伊那与力衆と共に最も激しい攻防戦を繰りひろげた場とされています。

ハリギリの老大木は県内でもごく稀であり、貴重な巨樹。樹幹に大きく腐食の跡があり、処理を施してあるものの、やや衰えがみえます。しかしその巨神木として見るものを圧倒しています。
地元ではハリギリのころをセンノキと呼んでおり、拝殿北側には二世樹も育ってきています。

上伊那にある、ただ一基の前方後円墳で、くびれた部分の左右に丸い作り出しが付いた県下唯一の車塚形式の古墳です。6世紀中頃、敏達天皇の皇子頼勝親王の墓と伝えられ、全長58m高さ7.7mの前方後円墳です。

胎内背部に平安時代の様式、所帯で記された寄進者の名があります。藤原姓の多いのは、この付近一帯が藤原氏と関係の深い蕗原庄と呼ばれる荘園であったからと思われます。この期の作例に比べて材が厚手で、総体に彫り口が強いのが特徴です。

古田人形芝居は箕輪町上古田地区を中心に、風よけや豊作を祈る神への奉納として行われたと伝えられています。江戸・明治時代には淡路より人形操りの技術を学び発展してきました。明治中期後、一時低迷しましたが、戦後、地元有志が復興に力を注ぎ、現在古田人形芝居保存会が中心となり小中学生ら次世代の子供と共に活動しています。